戯曲演奏計画Vol.3


前回はかしやま組として参加した戯曲演奏計画だったが、今回は個人で参加した。
ピアノを松島さんにお願いし、演技を村岡さんにお願いした。
タイトルは「チャネル」という。動画は、後でタイトルを入れたりノイズを除去したりしたものをアップロードしなおすつもり。
 カメラのアングルが悪い事もあるけれど、演出に映像を用いているのも手伝って、動画で観るとかなり臨場感が薄くなってしまうなぁ…。

 チャネルのコンセプトは、「単純変換系の音楽は視覚的な、或いはそれ以外の方法で何かしら変換される前との相関が示されなければ、視聴者にとっては特に意味がない」という点についての改善もしくは代替案の提示、というところである。
 繰り返しになるが、単純変換系の音楽、つまり音楽以外の何かしらのデータのもつ値を、音楽の持つパラメータ(音高、音価、音強など)に当てはめて単純に音響化した音楽は、その結果だけが音楽として耳に入ってくる視聴者に、その成り立ちがどうだとか、どのような経緯でその音響になっているか、などの情報は殆どもたらされない。つまり、少し不自然なだけの音楽として受け取られてしまう可能性が高い。
 さらに「これは元々なんとかという本の文字列を音に当てはめた曲です」というような場合には、以下のどちらかになってしまう可能性が非常に高い。

1.説得力のない不協和音がかなりの頻度で出てくる曲
2.耳障りは良いが、どの本を入力しても殆ど印象が変わらない

 前者の場合、殆どの人は楽しめないだろうし、後者の場合、「その本」である意義が薄い。
 前者になってしまう理由は説明する必要ないだろうけれど、少し触れると、12音ある音程を、本などのような、ある程度ランダムな頻度で出現する値に当てはめると、半音でぶつかってしまった場合などに不協和音が生じる。これはよほど音楽に奇跡的に適したデータ(今回の場合は本)でなければ防ぐことは難しい。
 後者になってしまう理由はもう少し具体的に説明する。これは本などを変換した場合でも、動画やその他のデータを変換した場合にも言えることである。
まず、アトランダムな値から音高を設定する場合、不協和音を避けるためにとれる手段はいくつか存在する。

  1つは、短音程を含まないスケール(ペンタトニックや全音階など…)を用いる、という方法で、これは良く用いられる安易な方法であると言える。(僕は割と好きで良く使う。安易でもやはり心地よいと思う。)
 もう1つは、予め和音やメロディーの定型を決めておいて、それらの中から選択する、という形にする方法である。

 後者は作り込もうと思えばどこまでも作りこめるが、やはり使用される定型が1曲内で固定されないため、少しちぐはぐな雰囲気の曲になってしまうだろう。
 前者は全体的に均質な音楽になるが、変化に乏しくどのデータから作成しても同じような雰囲気になってしまう可能性が高い。

 そこまでして、それらのリスクを抱えながら、何かしらのデータをわざわざ曲に変換する、という利点は何だろう?

 色々と問題点を挙げてきたが、その技法の問題点は1点だけだとも思っていて、それは「変換される前の情報との相関が視聴者に見えにくい」という部分である。それさえ改善されれば、音楽的には上記のような問題を抱えていたとしても、作者が感じているような「変換されていく快感」を視聴者が享受できる可能性がある。
と、考えたのがこの作品を作ろうと思ったきっかけではあった。

 最初は、戯曲を朗読して、それがリアルタイムに可視化されて、耳障りの悪くない音楽に変換(演奏)されていくだけでも良いかも知れないと考えていたのだが、なんとなくそこに必然性と物語性が欲しくなってしまった。

 そして、必然性と物語性のことを考えていたら、どんでん返しが欲しくなった。
なので、
 文字列を音楽に変換して演奏していた序盤→音楽を文字列に変換したものを朗読する終盤
この構成を軸に戯曲を作ることにした。

 ストーリーについては見て貰ってのと通りの感じになった。
ざっくり言うと、音楽をコントロールしようと夢中になっている間に、逆にコントロールされてしまっている、という感じだ。

 文字列を音に変換するルールについては、少し複雑で、メロディーに割り当てられる文字と、和音に割り当てられる文字、ベースに割り当てられる文字がそれぞれ決まっていて、メロディーに割り当てられる文字は、即座に音高に変換される。
 和音に割り当てられる文字は、次にベースに割り当てられる文字が出てくるまでスタックされる。
 最後に、ベースに割り当てられる文字が出てきたときに、その和音に割り当てられる文字によってベースの長短3度、4度、5度、短7度、長2度の音程をが割り当てられる。
 また、それらどれにも該当しない、メロディーのオクターブを変更する効果のある文字などもある。
が、最後にそのルールから逸脱していって終わりたかったので、割ときちんと考えたルールだったけれど劇中あまり効果を発揮しなかった。
それはそれで、別の所でちゃんとやってみたい気もする。
というか、普通に耳障りの良い感じの変換ルールで、朗読と音楽が同時に流れるだけ、というのもやってみたい。言葉が音に変換されていく過程は、想像していたよりも面白かった。

 実際には、変換前後を視覚的に表現したり、その他の方法で提示するのは、別に新しい事でもないし、既にかなりやり尽くされている領域だとも思う。このレポートは「やってみた感想文」というような風に読んでもらえると嬉しい。

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 この素敵な企画を継続されている山田さん、忙しい中出演してくださった松島さんと村岡さん、本当にありがとうございました。
村さんのあの最後のぶっ飛んた感じと、松島さんのあの微笑がなければ成り立たなかった作品だと思っています。
 またよろしくお願いしますm(__)m